大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成5年(ワ)23441号 判決

原告

甲野薫

被告

乙山一郎

右訴訟代理人弁護士

井出雄介

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する平成三年五月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実等

1  原告及び訴外梅景裕司(以下「梅景」という。)は、訴外株式会社エイワ(以下「エイワ」という。)の従業員であった者であるが、昭和六二年七月二九日付けで同社を懲戒解雇された。

2  原告及び梅景は、昭和六三年三月二八日付けで財団法人法律扶助協会東京都支部(以下「扶助協会」という。)の扶助決定を得、同協会から要請された弁護士である被告に対し、昭和六三年五月一二日、エイワほかに対する訴訟事件の手続を委任した。

3  被告は、平成二年三月三〇日付けで、原告及び梅景の訴訟代理人として、エイワ、その代表取締役である訴外木ノ内伸幸(以下「木ノ内」という。)及び訴外塚田曽二郎(以下「塚田」という。)を被告とし、右被告ら各自に対し金二〇〇万円の損害賠償の支払を求める訴えの訴状を裁判所に提出して右訴えを提起した。

4  被告は、エイワほかに対する訴訟事件の平成三年五月二七日の口頭弁論期日において、原告らは被告を解任する意向と思われる旨発言し、扶助協会に辞意を表明して同年六月一〇日にその承認を受け、平成四年二月一二日付けで、エイワほかに対する訴訟事件の受訴裁判所に対し訴訟代理権消滅の通知をした(甲第三九号証、乙第三号証)。

二  争点

1  原告の主張及び請求

原告は、

(一) 被告は、原告からエイワほかに対する訴訟事件を受任しながら、訴えの提起まで二年間放置し、その結果、原告がエイワから解雇された後の賃金債権を時効消滅させ、エイワを相手に解雇無効を理由とする未払賃金請求訴訟を提起する機会を奪い、原告は、被告の右不法行為により、解雇後の二年分の賃金(月額一三万円、合計三一二万円)の六割に相当する一八七万二〇〇〇円の損害を被ったほか、

(二) 被告は、エイワほかに対する訴訟事件を受任後、原告の頻繁な督促を無視して訴えの提起を怠り、受任事件の相手方であるエイワの不法行為を立証するための手段である諸帳簿の法定保存期間を満了させて相手方に利益を与え、訴えの提起に当たっては独断で金額僅か二〇〇万円の損害賠償請求を訴訟物とし、原告に事後承諾を押し付け、訴えの提起後も、相手方であるエイワほかの代理人弁護士らと密通し共同謀議の上、原告から預託を受けた証拠書類を相手方弁護士らに交付して相手方から提出させ、原告に有利な証拠である証拠書類の預託を受けながらこれを提出せず、事件の真相を知る訴外暮田昭吉(以下「暮田」という。)の証人尋問を申請するよう要請を受けながらこれを行わず、相手方から提出された書証を原告に開示せず、もって、原告の犠牲において受任事件の相手方の利益を図ろうとし、右計画が露顕するや、原告に被告を解任する意思がなかったにもかかわらず、右訴訟事件の平成三年五月二七日の口頭弁論期日において突如辞意を証明して以後の訴訟活動を放棄し、その後も、原告が預託した証拠書類の原本及び原告が支払った着手金を返還せず、原告の以後の訴訟活動を著しく困難にするといった弁護士法違反の不法行為に及んだが、被告の右不法行為により、原告は、多大の精神的苦痛を被り、右苦痛を慰謝するには、金一一三万八〇〇〇円が相当である

旨主張して、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、金三〇〇万円及びこれに対する平成三年五月二七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  被告の主張

被告は、

(一) 原告の右1(一)の主張に対しては、原告は、エイワを解雇された後、同社において一切就労せず、就労の意思表示をもしておらず、被告にエイワほかに対する訴訟事件を委任した直後の事情聴取の際の被告の発問に対しても、職場復帰の意思がない旨明言し、被告に対しては不当解雇による慰謝料請求訴訟を提起するように求めたのであるから、被告に訴訟委任契約上の義務違反はなく、また、そもそも時効消滅の対象となる賃金債権も存在しない旨主張し、

(二) 原告の右1(二)主張に対しては、受任事件の相手方弁護士らとの密通及び共同謀議の事実を否認し、訴え提起の遅延については、被告は、訴えの提起に当たり、平成元年二月までに少なくとも七回以上原告及び梅景と面接して事情を聴取するなど、事案の内容に徴して過重な負担を強いられた上、原告側にも、暮田に委嘱して発した膨大な内容証明郵便等を秘匿して扶助決定を得、被告の事情聴取に対し事実経過を淡々と説明しようとせず、また、直接被告と連絡を取ることをせず扶助協会をして原告に圧力をかけさせるべく頻繁に扶助協会に苦情申立てに及ぶなどの非違行為があり、それが被告の訴訟遅延の一因ともなっている旨主張し、さらに、被告が平成元年二月に原告らから行った面接から訴え提起に至るまで約一年を要した点に違法性が認められるとしても、原告の損害賠償請求権は、訴え提起の時点から三年を経過したことにより時効消滅した旨主張して、右消滅時効を援用する。

また、訴訟物の選択の点については、前記のとおり原告らとの間で訴訟物を不当解雇を理由とする損害賠償請求とする旨合意して委任契約を締結し、訴えの提起に当たっても訴状の確定稿を原告らに送付して確認を求めている旨主張し、予備的に消滅時効を援用し、書証の提出及び証人尋問の申請を拒んだ点については、原告らから預託を受けた書面のほとんどが、原告及び暮田らからエイワ及びその関係者に宛てて発進した内容証明郵便であり、その内容からして紛議を拡大・挑発する結果を自招したとの事実認定に結び付きかねないものであり、暮田については、弁護士でも当事者でもないのに原告・梅景とエイワらとの間の紛争に介入し、右内容証明郵便を実質的に作成した者であって、証人としての適性に欠けると判断したため、いずれも原告及び梅景の了解を得て提出及び申請をしなかった旨主張し、辞任の経緯については、原告が事務所外での面会を拒絶されたことで被告を憎悪し、暮田も被告が同人作成の内容証明郵便等の異常さを指摘し、同人の証人申請を容易に肯ぜず、同人の介入を拒絶したことで被告を憎悪し、被告に無断で裁判所に被告に対する誹謗中傷を内容とする準備書面及び書証多数を直接提出し、被告が指定した打合せのための日時に来所しなかったので、被告は、原告らから実質的に解任されたものと判断し、辞任以外に採るべき途はないと考え、辞任に及んだ旨主張する。

3  したがって、被告がエイワほかに対する訴訟事件を受任後訴え提起を遅延したことが原告に対する不法行為となるか否か、右訴え提起により原告に未払賃金債権の時効消滅の損害が発生したか否か、被告に受任事件の相手方と内通・共同謀議の上依頼者である原告の犠牲において相手方の利益を図るなど弁護士法に違反する不法行為があったか否かが本訴における主たる争点である。

第三  争点に対する判断

一  判断の前提となる事実

甲第一ないし第三号証、同第六号証、同第一一号証、同第一三号証、同第一五号証の一ないし六、同第二〇、第二一号証、同第二四ないし第二九号証、同第三二ないし第三四号証、同第三六号証、同第六六号証、同第六八号証、同第七〇号証の二、三、乙第一ないし第六号証、同第八ないし第一一号証、同第一二号証の一、二、原告及び被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、甲第六八号証及び原告本人尋問の結果中この認定に反する部分は採用しない。

1  原告及び梅景は、もとエイワの従業員であったが、エイワは、原告に対し、昭和六二年七月七日付けで、著しく会社内の秩序を乱していること及びPS版現像液の管理を怠って問題を引き起こしたことを理由に、同月八日から二週間の出勤停止処分にし、続いて、同月二九日付けでPS版現像液を漏洩させたこと等を理由に原告を懲戒解雇処分にし、梅景についても会社指定以外の病院で検査及び診断を受けたこと等を理由に同人を懲戒解雇処分にした。

2  原告及び梅景は、昭和六二年一二月、エイワを相手方として、原告らを不当解雇した上、自宅待機中の四か月分の給料を支払わないエイワの反社会的行為に対して九〇万円の支払を求めるとともに、再就職がかなうべき正当な離職理由書の発行等を求める調停を豊島簡易裁判所に申し立てたが、右調停は、昭和六三年三月一七日、不成立に終わった。そこで、原告らは、その翌日、扶助協会に赴き、同月二八日付けで扶助決定を得た。決定書には事件名として、(不当解雇を理由とする)損害賠償請求と記載され、特記事項として、依頼者作成の訴状には損害賠償請求となっているが未払給料等請求事件とするか、事件名については受任弁護士に一任すると記載されていた。

3  昭和六三年四月上旬ころ、被告は、扶助協会から原告らの右事件についての受任要請を受け、扶助協会において資料を閲覧したところ、その内容からして受任に躊躇を感じたので、原告らと面接の後、諾否を決めることにした。被告は、原告らに事務所への来所を求めたところ、原告及び梅景に同行して暮田が来所し、被告に対し「社会・教育・評論士」の肩書の入った名刺を交付した。当日は原告の体調が悪いということで事情聴取ができず、日を改めて原告ちから事情聴取を行うことにしたが、その後、暮田から、是非受任されたいとの要請があった。同年四月下旬ころ、被告は、来所した原告、梅景及び暮田から事情聴取を行い、エイワが梅景の労災事故につき不正に休業補償給付金の利得を得たことを理解し、エイワ側に非違があると判断して、受任を決意した。そして、同年五月一二日付けで、原告及び梅景と被告及び扶助協会との間で、エイワに対する(不当解雇を理由とする)損害賠償請求事件についての委任契約を締結し、被告は、着手金として金一〇万円の支払を受けた。

4  被告は、受任直後ころに事情聴取のため原告らに来所を求めた際、同行してきた暮田から、そのほとんどが原告及び梅景名義でエイワ及びその関係者にだされた内容証明郵便の控えである相当量の書類を持参し被告に交付した。原告らから事情聴取を進める過程で、被告は、原告らに対し、解雇無効を主張して職場復帰を求める途もあることを指摘したが、原告及び梅景ともに職場復帰の意思がない旨明確に回答した。なお、梅景は、当時既に別会社に就職していた。また、被告は、原告らに対し、原告らにも落度があるので勝訴しても慰謝料の認容額は僅少となるであろうから時間外勤務手当の支払も併せて請求してはどうかと勧めたこともあった。他方、原告は、事情聴取に際し、もっぱらエイワの関係者を非難することに終始し、事実経過を淡々と説明することをしなかったので、事情聴取は難航し、被告は、とりあえず原告らから交付された右書類の検討を先行させることにした。その間、同年七月二九日付けで、右2の調停の経緯を説明し、「一早き法律手続」を取るよう要請する内容の書簡が原告及び梅景名義で被告宛てに送られてきたが、右以外に原告らから手続の督促を求める口頭ないし書面による申し入れは特になかった。

5  平成元年二月に入って、被告は、同月七日及び一三日の二回にわたり、原告らから事情聴取を行ったが、そのころまでに、被告は、原告及び梅景が、解雇後に、労働基準監督署の斡旋により、時間外勤務手当を受領していた事実を知るに及び、不当解雇を理由とする損害賠償請求(慰謝料請求)のみを訴訟物とする方針を固め、原告らの了解を得た。そして、そのころまでに、原告及び梅景から、訴訟委任状の交付を受けた。

6  ところが、被告は、そのころ多忙であったこともあり、事件の内容からして他の事件に優先してまで原告らの右受任事件を処理する気持ちになれなかったため、その後右受任事件についての提訴の手続を取らないまま放置し、平成元年の終わりころ、訴状の原案を作成して扶助協会に報告したが、その後も被告が兼業していた税理士業務に追われたため提訴の手続に着手できず、平成二年三月二五日付けで、訴訟提起の遅延を詫びる内容の書簡とともに、訴状の確定稿及び委任事項をあらかじめ記載した訴訟委任状用紙を原告らに送付し、同月中に裁判所に提出するので至急返送するよう求めた。なお、被告は、右5のとおり原告らが解雇後時間外勤務手当を受領していた事実を知るに及んでいたが、その事実を失念して、右書簡には、「小生の遅滞もあって二年の時効期間が経過したことも慰謝料請求一本化に決した理由の一つですが」と記載した。他方、被告が右のとおり提訴を放置している間、原告、梅景及び暮田からは、右4の昭和六三年七月二九日付け書簡が送られてきたほか、書面による督促は一切なく、また電話による督促が行われた形跡もうかがわれないが、原告及び暮田らは、その間、扶助協会に頻繁に架電し又は同協会に赴いて、被告に対し手続の督促を促すよう申し立てていた。

7  被告は、原告らからの訴訟委任状の返送を受けて、平成二年三月三〇日けで、原告及び梅景を原告とし、エイワ、その代表取締役である木ノ内及び塚田を被告とし、不当解雇によって原告らが被った精神的苦痛の慰謝料として右被告ら各自に対し金二〇〇万円の支払を求める損害賠償請求の訴えの訴状を東京地方裁判所に提出し、右訴状は同年四月二日受理された(同庁平成二年(ワ)第三八〇二号損害賠償請求事件)。

8  被告は、提訴後、エイワほかに対する訴訟事件の各口頭弁論期日の終了後原告及び梅景に対し書面(以下「連絡書面」という。)でもって期日の経過を報告することにし、平成二年七月三日の第一回口頭弁論期日分については同月六日付け連絡書面により、同年八月二八日の第二回口頭弁論期日分については同年九月一八日付け連絡書面により、同年一〇月二日の第三回口頭弁論期日分については同日付け連絡書面により、同年一一月六日の第四回口頭弁論期日分については同月七日付け連絡書面により、平成三年二月四日の第六回口頭弁論期日分については同日付け連絡書面により、同年三月五日の第七回口頭弁論期日分については同月六日付け連絡書面により、それぞれ原告及び梅景に対し報告した。

なお、被告は、右平成二年九月一八日付け連絡書面に、「第二回期日(八月二八日)には、塚田・森田の両氏が出頭したのみで、右両弁護士は出廷せず、書面も提出されませんでした。」と記載した上、「被告側は、本件訴訟提起により、少なからず打撃を受けて、混乱状態にある様子です。その原因は現段階では詳らかではありませんが、塚田氏と木ノ内氏とが仲違いしたのやも知れません。」と記載した。

9  被告は、エイワほかに対する訴訟事件の平成二年一一月六日の第四回口頭弁論期日の後原告らに送付した右同月七日付け連絡書面において、「エイワ側から詳細な反論の書面が提出されました。右各書面の内容は、かなり強烈であるうえ、従前小生が知らなかった事項も含まれています。」と記載した上、反論の書面を用意するため原告らの来所を求め、同月二二日、三〇日及び同年一二月一〇日の三回にわたって原告らと打合せの機会を持った。打合せには暮田も同行し、被告に対し、原告らが委任直後に被告に預託した右4の内容証明郵便等の書類を書証として提出するとともに、事件発生後原告と行動を共にした暮田を事件の真相を知る者として証人申請することを求めたが、被告は、右内容証明郵便等の書類は、その記載内容からして、証拠価値が乏しいのみならず、かえって原告に不利な結果を招来すると考えてその提出を拒み、また、暮田についても、証人としての適性に欠けると考え、その証人申請を拒絶し、エイワの取締役に就任していた訴外柳沢光一(以下「柳沢」という。)の証人申請のみを行う方針を原告らに伝えた。他方、暮田は、同年一二月九日付けで被告に対し、「ニューシティタイムス株式会社会長」の肩書を付した上、原告らの準備書面については、法曹の常道に従い、作成の上原告らの承認を得て提出するよう求める旨のファックスを送り、被告は、原稿の段階で原告の了解を得た上で作成した準備書面を右訴訟事件の同月一一日の第五回口頭弁論期日において提出し陳述した。

10  平成三年一月三〇日、暮田は、被告に対し、被告が右訴訟事件の第四回口頭弁論期日以降積極性を喪失し、意欲が後退したのに不安を覚える旨記載した上、被告が原告が要請した証拠書類の提出を拒み、暮田の証人申請を拒んだことを非難する内容のファックスを送った。他方、被告は、右訴訟事件の同年二月四日の第六回口頭弁論期日において、原告らの事前の閲覧に供することなく、訴状の請求原因を補充訂正する内容の準備書面を提出して陳述し、同年二月四日付け連絡書面に、「準備書面等の訴訟書類は、弁護士がその見識において作成するものであって、依頼者の検閲を受けなければならない性質のものではありません。」、「暮田殿は小生の依頼者ではありませんから、必要により協力をお願いすることはありえても、そのご指示に従うことはできません。」と記載してこれを原告らに送付した。また、被告は、右連絡書面に、次回期日の予定について、裁判官室において、争点及び立証方針につき、裁判官、エイワ側弁護士及び被告の三者間で協議する運びとなっており、被告としては、原告との打合せの趣旨を尊重して、先ず柳沢の取り調べを申し出る方針であり、原告らの出頭は不要である旨記載した。

11  同年三月五日、エイワほかに対する訴訟事件の第七回口頭弁論期日において、エイワ側から、原告らが被告に預託したのと同じ内容証明郵便多数を含む書証(甲第四二号証)が提出された。被告は、右方針どおり、柳沢の証人尋問を申請したところ、裁判所の方から、原告本人尋問を先行させたいとの意向が示され、結局、原告本人が採用されて同月二五日にその尋問を行うことが決定された。そこで、被告は、同月六日付け連絡書面でもって、原告らに対し、右期日の経過を伝えたところ、原告らは、原告名義の同月九日付けファックスでもって、被告に対し、原告らが被告に預託した内容証明郵便等の書類の提出及び暮田の証人尋問申請を要請するとともに、「裁判の成否にかかわらず、弁護人は原告の要請を素直に代弁されることを厳重に貴殿に申し入れます。その意味から原告の持参してある証拠書類について、原告が分類説明の上、その通り履行して頂きたく、お願い申し上げます。」旨伝えた。被告は、同月一六日及び二三日に原告らと打合せの機会を持ったが、いずれも暮田が同行し、原告らは原告本人尋問の実施を頑なに拒否する態度を示したため、結局、同月一六日の打合せの時点で同月二五日の原告本人尋問についてはその実施を延期するよう裁判所に要望することとし、原告らの準備書面を作成提出することを決めた。そして、被告は、右方針に従って、エイワほかに対する訴訟事件の受訴裁判所に対し、同月二五日の原告本人尋問の実施の延期を申請した。他方、原告らは、右三月一六日の打合せの後、原告名義の同月一七日付けファックスでもって、被告に対し、右内容証明郵便等の書証五点の提出及び暮田の証人尋問申請を強く要請した。

12  同年三月二七日午後九時三〇分ころ、原告は、被告に架電して、事務所外での早急な面会を求めてきた。被告は、同年四月四日の夜であれば都合が付く旨回答したところ、原告は、会う気がないのでは仕方がないといった趣旨のことを述べて電話を切った。そこで、被告は、原告が認識・方針の不一致をもって被告を不満としているのであれば、依頼者と弁護士との関係につき理解が不足していると言わざるを得ないなどと記載した同日付け書面を原告らに送付するとともに、右書面により、相手方提出に係る書証の写しの送付について猶予を求め、併せて、同年四月後半から五月にかけて詳細な打合せを実施したい旨伝えた。これに対し、原告は、同年三月三〇日付けで、相手方提出の準備書面と被告の作成した準備書面を比較すると、原告の意思を無視して相手方に有利になるように受け取れ、暮田の証人尋問申請を執拗に拒む原因もそこにあるような気がする、相手方が提出した書証を渡してくれず、一か月以前の法廷の事情が分からない状態において、次の期日を迎えたことは、原告を疎外したに等しい、次回の打合せ前に原告に対し過去の全貌を明らかにすることを要望するといった趣旨の内容が記載された原告名義のファックスを被告に送付した。

13  同年四月五日、原告は、被告にあらかじめ通知することなく、「当該準備書面は、本件係争の過程において原告らが訴訟代理人乙山一郎の行動について不審の点があったので、直接法廷に口頭弁論を行うものであります。」と頭書した上、被告が原告の方針に従わないことを背任行為として非難する内容の準備書面をエイワほかに対する訴訟事件の受訴裁判所に提出するとともに、右内容証明郵便等を書証として提出し、さらに、同年五月二日ころにも、被告にあらかじめ通知することなく、右訴訟事件についての原告の主張を記載した準備書面及び内容証明郵便等の書証を右裁判所に提出した。他方、被告は、同年五月二〇日付け私文書及び内容証明郵便でもって、原告及び梅景に対し、打合せのため同月二四日午後六時又は二五日午後一時に事務所に来るよう求めたが、原告は、同月二四日付けファックスでもって、右要請には答えられない旨回答し、右日時に被告の事務所に赴かなかった。

14  同年五月二七日のエイワほかに対する訴訟事件の第九回口頭弁論期日において、被告は、原告らは被告を解任する意向と思われる、原告らに信任されない状態のもとで原告本人尋問を担当することはできない。本日は右尋問に入ることなく続行願いたい、代理人としても自己の進退を決したいといった趣旨の発言をして、原告本人尋問の延期を要請した。そして、右期日の終了後、扶助協会に赴き、辞意を表明した。その結果、同年六月一〇日、扶助協会の審査会において被告の辞任が認められるとともに、原告及び梅景に対する扶助決定が取り消され、同月一三日、原告らにその旨が伝えられた。これに対し、原告は、被告に対し、事件の受任を継続する意向の有無を問う内容の「御意見伺い書」と題する同月三日付け内容証明郵便を送付した。被告は、梅景については、暮田及び原告から離れて被告を信任するのであれば訴訟代理人に復帰する意向であったため、同人からの連絡を待ち、翌平成四年二月一一日に同人の承諾を得た上で同人宅を訪問したが、同人は暮田の指示を受けて被告との面会を拒絶したため、被告は、同月一二日付け書面でもって、原告及び梅景の両名について訴訟代理権が消滅した旨の通知を右訴訟事件の受訴裁判所に行った。

15  原告及び梅景は、その後弁護士に委任せずにエイワほかに対する訴訟事件の手続を追行し、平成五年九月二〇日、原告について一部勝訴の判決を得た。他方、原告は、平成五年に入って、被告が所属する第二東京弁護士会に対し、被告について懲戒の申立てを行ったが、同会綱紀委員会は、平成六年二月二一日、被告を懲戒しないことを相当と認める旨の議決を行い、同年三月八日付けで同会から被告に対しその旨通知された。これに対し、原告は、日本弁護士連合会に異議申出をしたが、平成七年二月一五日、同会は右異議の申出を棄却する旨の決定をした。

二  被告の訴訟提起の遅延を理由とする損害賠償請求について

1  右一において認定したところによれば、被告は、昭和六三年五月一二日付けで、原告及び梅景と被告及び扶助協会との間で、エイワほかに対する損害賠償請求事件についての委任契約を締結しながら、平成二年四月二日に至ってようやく受任に係る右損害賠償請求の訴えを提起し、また、その間、平成元年二月の打合せの時までには、不当解雇を理由とする損害賠償請求(慰謝料請求)のみを訴訟物とする方針を固めて原告らの了解を得るとともに、原告らから訴訟委任状の交付を受けていながら、さらに約一年以上も右訴えの提起に着手しなかったというのであり、右平成元年二月の打合せ以降原告らに右一6の平成二年三月二五日付けの書簡を送るまでの間、原告らから事情聴取を行ったり、原告らに対して訴えの提起が遅延していることについての詳細な説明を行ったりした形跡は証拠上うかがわれない。

もっとも、本件記録からうかがわれるエイワほかに対する訴訟事件の事案の内容・性質さらには依頼者である原告らの性格・言動にかんがみると、被告において受任事件の内容の把握に時間を要し、通常の場合に比してその処理が遅延せざるを得なかった事情については理解できないでもなく、平成元年二月ころまで事情聴取を重ねた点については、直ちにその遅延が受任弁護士としての注意義務に違反するとまではいえないように思われる。

しかしながら、右に判示した事実によれば、平成元年二月の打合せが終了した時点においては、訴訟物についての方針も固まり、原告らから訴訟委任状の交付も受けていたというのであるから、遅滞なく訴えの提起に着手し得る状態にあったものと認められるのであり、右時点から被告が訴えの提起に着手するまでさらに一年以上の期間を要した点については、右に判示した事案の内容・性質や依頼者の性格・言動さらには右一6において認定した被告側の事情を斟酌しても、なお、相当性を逸脱した行為といわざるを得ず、受任弁護士として誠実に職務を行うべき注意義務に違反した違法な行為と認めざるを得ないものというべきである。

2  そこで、次に、被告の右訴え提起の遅延により原告が被ったと主張する損害について検討するに、右一において認定した事実によれば、原告は、訴え提起前の被告からの事情聴取の際に、被告に対し、職場復帰の意思がない旨明確に回答しており、原告がエイワを解雇された後、エイワに対して就労の意思を表示した事実を認めるに足りる証拠はない(原告自身、その本人尋問において、解雇後職場復帰をする意思はなかった旨供述しているところである。)上、右認定事実によれば、原告らは、訴訟物を不当解雇を理由とする慰謝料請求として提訴することについても了解していたというのであり、被告との間で紛議になるまで被告に対し未払賃金請求の機会を逸したことについての異議を述べた形跡は証拠上うかがわれない。以上の事実にかんがみると、原告は、そもそも、解雇無効を理由とする未払賃金請求手続を被告に委任しなかったものと認められ、したがって、被告の右訴訟提起の遅延により右未払賃金債権が時効消滅し原告が右請求の機会を逸したことを理由とする原告の被告に対する損害賠償請求は、その前提において失当というべきである。

3  次に、原告は、被告に対する慰謝料請求の事由としても右被告の訴訟提起の遅延をいうようであるが、その主張の趣旨からすれば、被告は、右訴訟提起の遅延を被告の受任事件の相手方との内通・共同謀議に基づく背任行為を基礎付ける事由として主張しているものと解されるところ、右内通・共同謀議の事実ないし被告が原告の犠牲においてエイワら受任事件の相手方の利益を図った事実を認めるに足りないことは、後記三において判示するとおりである。

もっとも、原告の右主張に、被告の右内通・共同謀議に基づく背任行為の有無にかかわらず、右訴訟提起の遅延の不法行為により原告が受けた精神的苦痛の賠償を請求する趣旨が含まれているとしても、右訴訟事件の訴えの提起(平成二年四月二日)から本訴の提起まで既に三年を経過しているから、右損害賠償請求権は、平成二年四月二日から三年の経過により時効消滅したものというべきである。

4  したがって、被告の訴訟提起の遅延を理由とする損害賠償請求は、いずれも理由がない。

三  被告の受任事件の相手方との内通・共同謀議による背任行為を理由とする損害賠償請求について

1  原告は、甲第六八号証及び原告本人尋問において、被告が原告の犠牲において受任事件の相手方であるエイワほかの利益を図るため、エイワらの訴訟代理人弁護士らと内通・共同謀議に及んだことの主要な根拠として、以下の点を指摘している、すなわち、

(一) 被告が原告らに送付した右一8の平成二年九月一八日付け連絡書面に、エイワほかに対する訴訟事件の第二回口頭弁論期日には塚田は出頭していなかったにもかかわらず(甲第一九号証によれば、右事件の第二回口頭弁論調書には塚田が出頭した旨の記載はない事実が認められる。)、右一8のとおり、右期日には塚田が出頭した旨虚偽の記載をした上、右事件の相手方の事情に精通する記載がなされていること、

(二) 被告は、平成二年一一月二二日の打合せの際、原告から預託を受けていた証拠書類に赤ペンで欄外に書き込みをしたが、右書き込みのある書類が平成三年三月五日の右訴訟事件の第七回口頭弁論期日にエイワ側から右事件の乙第二五号証として提出されていること、

(三) 被告が原告に有利に働くべき原告らから預託を受けた内容証明郵便等の書証(特に甲第六ないし第一〇号証)を全く提出しようとせず、事件の真相を知る暮田の証人尋問申請を拒んだこと、

(四) 被告が平成三年三月五日の右訴訟事件の第七回口頭弁論期日においてエイワ側から提出された書証(その中には被告がエイワ側の代理人弁護士と通謀して偽造した書類多数が含まれている。)の原告への交付を拒み、また、右期日に原告らを出頭させなかったこと、

(五) 被告は原告が被告を解任した事実がないにもかかわらず、受任事件の相手方との内通・共同謀議の事実が露顕するのを恐れて辞任したこと。

2  しかしながら、およそ弁護士が依頼者の犠牲において受任事件の相手方の利益を図るべく相手方ないしその訴訟代理人と内通し共同謀議に及ぶことは、当該弁護士にとって弁護士の職を自ら捨てるに等しい致命的な行為というべきものであるから、その相応の動機ないし背景が存してしかるべきところ、右一において認定した事実によれば、被告が、受任事件の立証方針をめぐる見解の相違ひいては依頼者と受任弁護士との関係のあり方についての考え方の相違から、原告側が再三にわたり強く要請した書証の提出及び暮田の証人尋問申請に応じようとせず、それが原因で原告側と紛議になった経緯が認められるものの、原告が被告に右の背任行為があったと主張する究極の根拠については、本人尋問によっても、せいぜい、受任事件の相手方であるエイワが労働基準法違反や刑罰法規に触れるような悪質な行為を繰り返している業者であるにもかかわらず、相手方にとって不利に働くべき書証の提出及び人証の申請を執拗に拒むのは、私欲のために相手方の利益を図るべく相手方と内通ないし共同謀議に及んでいるからに違いないという程度の推測にすぎないのであって、原告が右1において指摘する根拠についても、いずれも原告の右推測に基づくものにほかならず、右一において認定した事実経過にかんがみ、およそ被告の右背任行為を裏付ける事情たり得ないものというべきである。

すなわち、まず、右1(一)については、確かに判示のとおり口頭弁論調書の記載と被告の連絡書面の記載との間に形式的には指摘の齟齬が認められ、また、右連絡書面には右一8において認定したとおり相手方の内情を推測した記載があるものの、右事実を被告の内通・共同謀議に結び付けるのはあまりにも飛躍があるというべきであり、右1(二)については、原告指摘の書き込み部分が被告の筆跡によるものである事実を裏付けるに足りる証拠は全くなく、その記載内容に徴しても、被告が平成二年一一月二二日の打合せの際にこれを記載したとするのは不自然であり、被告が右期日に右の書き込みをした旨の原告の供述は信用できないものというべきであり、右1(三)については、右一9において認定したとおり、被告は、原告が提出を求めた書類はその記載内容からして証拠価値が乏しいのみならず、かえって原告に不利な結果を招来すると考え、また、暮田についても、証人としての適性に欠けると考えて、その提出及び証人尋問申請をしなかったというのであり、被告が右の点について原告らの要望にあくまでも従おうとしなかったのは、畢竟、受任弁護士である被告と依頼者である原告らとの立証方針をめぐる見解の相違ひいては依頼者と受任弁護士との関係のあり方についての考え方の相違に出たものにすぎない上、法律事務の受任者としての弁護士の地位・職責及び本件記録からうかがわれるエイワほかに対する訴訟事件の事案の内容にかんがみると、被告の右対応が原告らとの間の訴訟委任契約の本旨に反する義務違反であるとは到底認められないものというべきであり、右1(四)については、右一12において認定したとおり、被告においてエイワ側から提出された書証の写しの交付の猶予を求めた事実はあるものの、右書類中に被告がエイワ側の代理人弁護士と通謀して偽造した書類が含まれている事実及び被告が故意に右書証の原告への閲覧・交付を拒んだ事実を認めるに足りる証拠はなく、右1(五)については、右一において認定した経過事実によれば、立証方針ないし依頼者と受任弁護士との関係のあり方をめぐる被告と原告側との見解の相違が解消しないまま、原告が被告に無断で直接当該事件の受訴裁判所に被告の背任行為を指摘する内容の準備書面を提出したり当該事件についての原告の主張を記載した準備書面及び書証の提出を行った上、被告が予定した打合せに応じなかった状況の下において、被告がもはや原告との信頼関係の維持・修復が困難であると判断し、辞任に及んだのは、当該受任事件が扶助事件であることを考慮に入れても、なお、やむを得ないものというべきであり、被告が受任事件の相手方との内通・共同謀議の事実が露顕するのを恐れて辞任したとの原告主張事実を裏付けるに足りる証拠は全くない。

なお、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告は、辞任後も、受任中に原告らから交付を受けた書類を留置し原告らに返還していない事実が認められるが、乙第一号証及び被告本人尋問の結果によれば、被告は、返還の意思があるものの、更なる紛争の発生を懸念してその返還を控えている事実が認められ、被告と原告との間の紛議の経緯にかんがみると、被告の右対応をもって直ちに違法とまではいえないものというべきであり、また、被告が、原告に訴訟追行上の不利益を与える目的から、右書類の返還を拒んだ事実を認めるに足りる証拠はない。

また、右二において判示した訴訟提起の遅延についても、その当否はさておき、原告の犠牲において受任事件の相手方の利益を図る目的から故意に訴訟提起を遅延させたとの原告主張事実を裏付けるに足りる証拠はない。

その他、被告が原告の犠牲において受任事件の相手方であるエイワらの利益を図るため、エイワらの訴訟代理人弁護士らと内通・共同謀議に及んだとの原告主張事実の裏付けとなるに足りる事情の存在をうかがわせるような証拠は見当たらない。

3  したがって、被告が受任事件の相手方との内通・共同謀議により依頼者である原告の犠牲において相手方の利益を図る背任行為に及んだことを理由とする原告の被告に対する損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

四  結論

以上判示したところによれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官西川知一郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例